網走番内地
本来なら夏休みに入ってから行こうと思っていたが、仕事の都合でそれが無理そうなので、夏休み1週間前のタイミングでミニ旅行に出かけることにした。

目的地は「タウシュベツ川橋梁」と「博物館 網走監獄」と、その道すがら興味を引いた場所だ。

(なお、結局のところ、夏休みはとれた)
タウシュベツ川橋梁のおおよその位置をカーナビにセットし糠平湖(ぬかびらこ)まできたのだが、湖畔の道が通行止めになっていた。

どうやって橋まで行けば良いのか思案しながら走っていたところ上士幌町鉄道資料館を見つけたので、何か情報を得れないか立ち寄ってみることにした。
資料館の裏には手漕ぎトロッコ乗り場(有料:料金は失念)がある。

関心のタウシュベツ川橋梁へ続く道であるが、湖畔の道は一般には封鎖されていて、その代わり対岸に展望所が設けられたそうである。

資料館の見学後、早々に展望所を目指した。
さて、対岸にある展望所まで来たのであるが・・・

どこか違う場所の写真でも何でもなく、これは間違いなくタウシュベツ川橋梁の写真なのである。
ただ、橋が水面下にあるだけの事だ。
写真左側中央から、写真中央に向けて岬のように陸地が伸びているのがわかるだろうか。
その延長線上の水面下に橋がある。

対岸から橋を見なければならないことに少し落胆していたところ、追い討ちをかけるように水没して全く見えないことが分かり、これ以上なく落胆してしまった。

見られる時期を書いた説明板があったのだが、あまりに落胆していたせいで斜め読みしかしなかったが、2月や3月頃でないと橋を見られないのだな、と結論づけた覚えがある。
↑このまま網走まで行くのも物足りないので「ひがし大雪博物館」に立ち寄ることにした。
(「ひがし大雪博物館」は閉館し、「ひがし大雪自然館」になったようである)
第1展示室は脊椎動物の展示が主だ。

熊は、このように鹿を捕獲するのだろうか。
第2展示室は昆虫標本の宝庫だ。
虫・虫・虫・虫・虫・・・・・

虫が嫌いな人なら卒倒してしまうのではないかと思われるくらい、虫の標本が並んでいる。

妖艶な反射を行う蝶も、虫としてではなくアクセサリか何かだと思えば、嫌いな人でも鑑賞することができるだろう。
しかし、ちょっと視線をずらすと普通の虫らしい虫が見えてしまうので、目をつぶり誰かに手を引いてもらいここまでくるのが良いだろう。

虫を生理的に受け付けない人に一つだけ良い知らせがある。
『足や羽をぴくぴくさせているのは、いない』
↑地下の第3展示室。鉱物系というか地質系というのか、とにかくそのような展示である。
網走湖を背に夕日を見る。
今日の観光はここまでだ。

これから網走のホテルに向かう。
二日目。

博物館 網走監獄

料金所を通った中にある門だ。

写真右のレンガ色した像であるが、最初は大筆で字を書いていると思い、網走監獄とこれがどのような関係にあるのか思い悩んだが、数十秒後に筆ではなく木を引っこ抜くか何かしているものだと分かった。これは囚人が労役に従事している姿なのである。
囚人は道路建設等の労役に従事させられたそうである。
作業場と刑務所間を日々移動するのではなく、作業場にこのような「休泊所」を建て、ここで寝起きし、そして「休泊所」は工事の進行に伴い囚人の手で移動させたそうである。
ただ寝るためだけの場所だったらしい。

布団をめくってみたら、ちゃんとマネキンの胴体があった。

白服の看守の手がやや短いような気がする。
この建物一つに一人の囚人が入るので、文字通りの独居房だ。

冬季は凍死しないように暖房設備もあったと思うが、この部屋のサイズで石炭ストーブなら暑つすぎるはずなので、どんな設備だったのだろう。
座り方がいじけた感じを出している。
そして、中途半端にすすけた感じのマネキンが妙な生々しさを生み出している。
手前から奥に向かって進行?するとのこである。
マネキンに刺青まで入っている。
写真中央のやや上で白鳥由栄が脱走を試みている。
『いらっしゃいませ』
超ロング煙突。これほどの長さでも排気が行われることを初めて知った。
通路側は壁ではなく、ひし形の柱が並ぶ構造で、正面(=向かいの牢屋)から中は見えないが、斜めから見る(主に看守が見る方向)と筒抜けになっている。
刑務所だけにプライバシーよりも監視が優先されている。
便所。
便器が無いのは、取り外されているからなのか、元々無いものなのかは不明だが、これは復元されたものだろう。
注意深く見たわけではないが、マネキンは数パターンあって、化粧?を変化させることでバリエーションを増やしているように感じた。

この建物内で「監獄食」を食べることが出来るのであるが、博物館のカビ臭?と「監獄食」の匂いが混ざり合い、全く以って食欲をそそらない空間が構築されている。
真ん中がいつもの食事らしいが、冗談抜きに私の食事よりも健康的かつ豪勢だ。

外食やコンビニ弁当ではカロリーが高すぎてぶくぶく太ってきたので自炊にしたのである。

私の献立は次の通りだ。
朝: (自分で結んだ)おにぎり1つ
昼: (自分で結んだ)おにぎり1つ
晩: 残ったご飯+1品(蕎麦、野菜等)
一日で消費する米はだいたい1.2合程度である。
さて、監獄食のほうが豪勢であることを納得して頂けたであろうか。
昔の囚人服も展示されている。

ずいぶんと生地が薄く、本当にこれで北海道の冬を乗り切れたのだろうか。
かえでの葉脈のような5つの建物が獄舎で、その右の多々並んだ小さな建物が独居房だ。

これ以外の施設は事務所?や風呂、作業所のようである。
屋外にもマネキン収容者がいる。

ふと『マネキンの服を洗濯することはあるのだろうか』と思い、公式サイトの問い合わせ窓口に質問をしてみた。
早々に『春・夏の季節の変わりめに衣装替え、洗濯(一部除く)をしております。』との回答をいただく事ができた。
推測だが「洗濯(一部除く)」の「一部」はここここのように外気との接触が少ない場所のことだろう。

マネキンではなく、実際の洗濯の頻度はどうだったのだろう。これも質問すればよかったと思う。
次に訪れた場所は『ポンモイ柱状節理』である。
柱状節理に関してはここを参照してほしい。本サイトにはここ以外の柱状節理(東尋坊)の写真もある。

「網走市台町3丁目」にある、との情報しかなく、少し歩き回ることを覚悟し、どこに車を止めようかとウロウロしていたら国道沿いに見つけることができた。

貴重なものらしいが、この道に疎い私には、四角い岩でしかなかった。
今は分からないが、私が小学生(札幌市内)のころ「モヨロ貝塚」に関する授業があったので、その存在は知っていた。
それが、宿泊したホテルの近くなので訪れることにした。
石碑のすぐ隣に白い「土の家」説明板があるが、実際の(復元された)土の家は説明板から少し離れた位置にある。
石碑よりも、土の家の近くに説明板を設置するのが良いと思うが、どうだろう。
入り口には金網が張ってあり入ることはできないが、金網にはカメラのレンズを突っ込めるように丁度良く円形に広がった隙間があった。

円形の隙間は意図されたものなのか、それとも誰かがそうしたのか、どちらなのかは分からないが、せっかくの隙間を活用し撮影した。
↑全景。発掘の跡は単なる地面の窪みにしか見えない。
貝塚の向かいには入館料120円の「モヨロ貝塚館」がある。
↑貝塚館の展示物は地下にある。窓のすぐ下が(ほぼ)地面の位置である。手書きの説明文がこの施設の古さを感じさせる。
網走最後の経由地は「能取湖(のとろこ)」のサンゴ草群生地だ。

シーズン(9月頃)中だと、一面が紅紫色に染まるそうであるが、まだ早すぎたようである。

ここは当初の見学予定地ではなく、そして対象が植物なので季節が関係するのはしょうがないが、「タウシュベツ川橋梁」も見ることができず、そしてここでも紅紫を見れず、事前調査が半端だとこうなってしまうのである。
網走から帰途の途中、『日本鉄道旅行地図帳(北海道)』に遠軽駅舎の写真が掲示されていたことを思い出し、実際に目で見たくなったので最後の寄り道場所を遠軽に決めた。
母親に連れられ、幼少のころ北見近郊に住んでいる祖母のところへ列車で行った事がある。その途中に車窓から見たこの岩のことは今でも覚えている。

岩が見えると、(遠軽駅に到着し、続いて)列車はスイッチバックし北見に向かうのである。
そして何度か来るうちに、この岩が見えるともう少しで到着だと分かるようになったのである。

左下の集団はゲートボール大会の参加者で丁度閉会式の頃である。
麓には小川が流れ遊んでいる子供もいた。また、SLや動輪、ラッセル車も展示されている。
この岩の名は「がんぼういわ」である。

何となく立ち寄った遠軽だが、思いがけず懐かしい景色に巡り合えた。