風邪で散々
2月25日(金)

寿命を迎える前に1度でよいからメイドカフェに行きたいと思っていた。

仕事がら大阪・神戸へ行く機会はあるが、東京へ行くことが最近は無かった。そこで、神戸出張のついでに東京・秋葉原へ行くことにしたのである。

宿泊場所はJR上野駅から歩いて10分程度である。そして上野駅から東京スカイツリーのある業平橋駅(なりひらばしえき) は思っていたよりも近いことを地図で知った。
そんなわけで観光初日は東京スカイツリーを見学することにしたのである。

撮影場所はここである。
タワーの右に見えるビルが少々景観を損ねている。
この日の気温は2月にして20度とかなり暑かった。

望遠レンズで先端を撮影した写真である。
この時点では、ツリーの高さはまだ600mに達していない。

平日なので、特に混雑はしていなかった。
業平橋駅からの写真である。

スカイツリーと電車のツーショットだ。

これを見てしまった以上、寿命を迎える前に展望台に行かないわけにはいくまい。
また一つ生きる目標を見つけてしまった日である。
2月26日(土)

待望のメイドカフェの日である。

しかし、メイドカフェだけでは時間が余るので、時間つぶしの方法をネットで調べてみるとメイド姿で秋葉原をガイドするサービスを見つけることができた。

二十代中~後半のメイドさんのガイドで秋葉原をしばし散策した。
むかしのパーツ屋溢れる秋葉原はもうなく、アニメの街に変貌していた。私も同行者もおっさん(以降、Mさんとしよう)である。アニメといわれてもピンとこないのだ。そんなわけでガイドのし甲斐のない客だったことだろう。

言うまでも無く右が私である。Mさんも記念撮影したのでここに勝手に掲示しよう。

なおガイドも写真撮影も有料である。写真撮影くらいガイド料に含めて欲しいが、せっかくの観光なのでこれ以上は考えないことにしよう。(写真代は、そのままガイドさんの懐に入るのであろう)

写真のメイド姿をしたガイドさんに、敷居の低いメイドカフェを教えてもらい、Mさんと入店1時間待ちの行列を耐え忍び目的を達することができた。
確かにメイド姿をしたウエイトレスがいた。「ご主人様いらっしゃませ」と言われた記憶はない。おいしくなる呪文を唱えさせられることもなく確かに敷居の低いメイドカフェであった。
残念なことに敷居が低すぎて、普通の喫茶店との差がなく印象に残っていないのである。
再び秋葉原へ行くことがあったなら、少しだけハイレベルなメイドカフェに行くことにしよう。
東京駅新幹線ホームの写真である。
東海道新幹線はここから始まるのである。

どうでもよいことであるが、(神戸へ)帰宅したのは、メイドカフェの翌日である。
したがってこの写真は27日(日)のものである。


ekimae.tokyo

hiroba.tokyo

4月2日(土)

ウサギが野生している大久野島、そしてしまなみ海道を経由し高松へ、高松からフェリーで神戸を巡る1泊2日の小旅行である。

ウサギが野生している大久野島のことは飛行機の機内誌で知り、また会社(札幌)の人もなぜか大久野島の存在を私へ知らしめてきたのである。
このような偶然から大久野島に行くことを決めた。

ここ(忠海:ただのうみ)は大久野島を経由するフェリーの乗り場だ。フェリーに車が乗り込んでいるが、これらの車は大久野島に行くわけではない。
大久野島へ車で行くのはお金の無駄である。島内を一般車両は走行できないので、(大久野島の)船着場にある駐車場に停めるしかないのである。

フェリーの切符は写真右の小さな建物内で購入できる。
また、車は写真左に見える駐車場に無料で停めることができる。
10分程度で大久野島に到着する。写真中央の小さな島がそうである。

島には送電線の鉄塔が2基建っている。
そろそろ到着であるが、いつもの通り事前調査をなにも行っていない。
ウサギが野生していることや毒ガス資料館があることしか知らない。
具体的には、ウサギがどこにいるのか、毒ガス資料館がどこにあるのかは一切知らないので来たのである。
足の踏み場も無いほどウサギがいるわけではなく、そこらにまばらにたたずんでいる。もっとうじゃうじゃいることを期待していたので、すこし残念だ。

居心地が良いのかウサギ密度が高い場所があった。
あまり近づくと餌を貰えると思って寄ってきてしまい、密度の高さを撮影できなくなってしまう。
なぜかウサギを見るといじめたくなる。実際にいじめたりはしないが、どこからかいじめたくなる感情が沸き起こるのである。

口と鼻先しか動かさないので、表情に変化がなく、これが私のいじめ心に火をつけているのかもしれない。

大抵のウサギは人が近づくと、自ら近寄ってきて最初に「手の匂い」を調査する。
そして餌を持っていないと判断すると元いた場所へそっけなく戻っていくのである。
あとは、無視するか逃げるかの2つである。

このウサギは、「そっけなく戻っていく」ところである。
↑太平洋戦争中は、大久野島で毒ガス兵器を製造していたそうである。これはその資料館である。
屋外には陶器で作られた製造装置の一部が展示されている。
(館内の撮影は禁止)

腐食に耐えられる素材として陶器が用いられているが、
1. 割れることは無かったのか
2. 接合部はどうやって密閉したのか
3. 焼いた後の寸法は、設計段階で正確にわかるものなのだろうか(物により寸法差が結構あるような気がするので、設計通りに接合できるのか)
と、幾つか疑問が浮かび上がった。
(答えは、いまだに不明)
寝始めたときは日陰だったのだろう。
このウサギではないが、爆睡し完全に伸びきった状態のウサギもいたが、写真を撮ろうと近づくと「びくっ」として目を覚ましてしまった。

天敵もいなく食事は人が持ってきてくれるので、病気にさえならなければ安泰な一生を送れることだろう。

私もそんな生活を送りたい。




okunoshima.jp
ゴリゴリ音をたてながら、ひたすら食事していたウサギである。

近づきすぎると警戒し食べるのを止めるが、はなれるとまたゴリゴリ食べ始めた。

どうしても、いじめたくなる。
この安泰さが羨ましくていじめたくなるのを理由の1つに追加しよう。
↑島を後にする時間が来た。瀬戸内海の風景に箱庭的な景観を感じるのは私だけであろうか。
今回の小旅行は、新幹線で新神戸から新尾道に移動し、新尾道からはレンタカーで移動したのである。(大久野島に行くときは、忠海の無料駐車場に駐車した)

大久野島の次は、しまなみ海道のドライブである。初めて通るわけでないので写真は過去のを見て欲しい(初回2回目)。


ここは大三島(おおみしま)の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)である。初めて来たはず。




omishima.jp
たしか・・天然記念物のくすのきだったと思う。
↑結構な由来を持つ神社らしい。私は無信仰であるが、おおらかな神道の神様は私のような者が見学にきても怒らないことだろう。
今回利用したレンタカーである。
新尾道の「駅レンタカー」を利用したが、店舗は「マツダレンタカー」と兼用しているようである。

ここは大島の亀老山(きろうさん)展望公園の駐車場である。
↑晴れていれば、もっと良い景観であったことだろう。右に見えるのは「来島海峡大橋」である。
しまなみ海道の縦走(といっても四国までは来ていない)の次はレンタカーの返却である。
今治で返却しようと考えていたが、乗り捨て料金が1万円以上なので、福山駅まで戻って返却することにした。
新尾道でレンタルした車を、わざわざ(今治方面と)逆行する福山に返却したのは、今治への直通バスがここから出発しているためである。

ちなみにETCカードを抜き忘れていて、レンタカー会社から電話が掛かってきていたが、しばらく気づかなかったが、バス乗車前に気づき事なきを得た。
あやうくETCカードを郵送してもらうことになりそうであった。


しまなみ海道.jp
4月3日(日)

今治駅周辺には歩いていける距離にコンビニ等がなく、このため昨夜はホテル自販機のカップめんで済ませるしかなかった。
駅周辺には本当にも何もないのである。なので、今治で夕食を調達することは考えないほうが良いと進言しよう。
なにげない写真の中央に「来島海峡大橋」が見えるのである。

目を凝らして見てみよう。
自動改札は、四国内の一部にしか無いようである。

6時50分発の「いしづち」で高松へ向かう。

ねむたい。
「いしづち」は、途中駅(駅名失念)で岡山と高松に向かう2つに分離する。
この写真は高松で車両後部を撮影したものである。
記憶が定かではないが、分離後は確か二両編成になったような・・・
フェリーの乗船まですこし時間があるので座ってくつろぎたかったが、待合室が見当たらない。
待合室くらい用意してほしいものだ。
↑撮影場所はここだ。神戸へ向かうジャンボフェリーの乗り場はここではなく、ここから無料シャトルバスに乗ったにある。
当初は、シャトルバスの乗り場が分からず駅周辺をうろうろ探しまわっていた。ジャンボフェリーに徒歩乗船する方は、乗り場の参考にしてほしい。

なお、乗り場に隣接する旅客ターミナルビルの1Fや2Fで座って待っていることもできる。2Fには、喫茶店もある。
明石海峡大橋を通り抜けると、あと少しで神戸港に到着する。5時間の船旅も終わりだ。

朝早かったせいもあり、ほとんど寝て過ごしてしまった。1度など自分のいびきで目を覚ましてしまった。恥ずかしい・・

橋の左に見えるのが淡路島(の一部)である。

4月17日(日)

日帰りで広島県呉市にある呉市海事歴史科学館(通称「大和ミュージアム」)まで足を伸ばした。
写真下部がちょっとだけはみ出してしまった。
後ろに下がると柵が写るので、このレンズではこれが精一杯だ。

「ぶっぱなしまーす」感満点の軍艦であるが、実際の出番は少なかったらしい。
これもちょっとはみ出している。
ここは後ろに下がれたので、撮影失敗といったところだろう。

船尾には飛行機のカタパルトもあったようだ。
↑1枚に収まらないのでパノラマ合成したが、近距離からの撮影なのでゆがんでしまった。
ゼロ戦。
根拠も理由も無いが、4~5時間練習すれば自分でも飛ばせそうな気もするが、着陸は出来ない自信がある。
海龍
本体の手前下に見えるのは魚雷だ。
当初は、この魚雷で攻撃することを目論んでいたらしいが、最終的には船首に爆薬を積み、特攻兵器として用いられることになったらしい。
しかし実際に使用されることが無いまま終戦を迎えたそうである。
この人命軽視の理念が現代にも引き継がれていることを中小IT企業で体験することが出来る。
↑テラスから海を眺める。丁度良い陽気でそこそこ見晴らしもよい。
↑戦艦「陸奥」の主砲。
同じく「陸奥」のスクリューと主舵。
謎の爆発事故で「陸奥」は瀬戸内海に沈んだそうなので、これらは引き上げられた一部である。
左が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)で、右が海上自衛隊呉史料館(潜水艦の奥に建物がある)
潜水艦旧「あきしお」が展示されている。
入り口は、潜水艦の真ん中辺りの下にある。
ちなみに見学は無料である。
股間がもぞもぞする…

展示物を見てから写真を撮る予定が、すっかり忘れてしまってほとんど内部の写真がない。どうして忘れてしまったのだろう・・
「あきしお」内も見学できるが、狭いのと他の人がいるのとでうまく撮影できなかった。
このため掲示できるのはわずか2枚の写真である。

見学もこの通路の先にある司令室?のような場所までで、上下の部屋には行けない。船首や船尾がどうなっているのか興味があるが、残念ながら見られない。
写真の中の2枚の写真が見えるだろうか。
左側は「あきしお」を陸揚げしている様子が写っている。よくぞ持ち上げられるものだと思う。

士官用の部屋だったと思う。
スクリュー下の突起から、船体やスクリューの音を拾わないように曳航ソナーを繰出したそうである。
↑船体と比較しスクリューがとても小さく見えるが、本物なのだろうか。それとも軍事機密からダミーのスクリューに置き換えられているのだろうかなどと思っていたところ、ここ(←写真が沢山)を読むとやはりダミーに置き換えられているようである。
呉から電車で帰宅する方法はいくつかあるが、帰りは「行き」とは別の路線を通ることにした。
瀬戸内海沿いを走る呉線で三原まで、三原から山陽本線で尾道→福山駅、そして福山から新幹線で新神戸まで帰る経路である。
瀬戸内海と尾道の景色を楽しみたかったのであるが、三原までの列車はロングシートのため向かいの人の顔を眺めている時間のほうが長く、また福山まではボックスシートであったが山側の席にしか座れず少々残念な時間を過ごすことになった。

ここは新幹線の福山駅である。
写真の500系新幹線には、未だ乗車したことがない。
新幹線の福山駅から福山城を見る。

呉日帰りは、こうして終わった。

5月4日(水)

5月の連休(10連休)に、三度目の種子島とJR最南端の駅を訪れる3泊4日の旅行を計画した。

初日(5月3日)は、種子島までの移動だけなので写真はない。

これは本物のH-Ⅱロケット7号機である。打ち上げがキャンセルとなり、今では重要科学技術史資料23号としてここに保管されている。





種子島.jp
種子島宇宙センターでは、案内者付き無料見学ツアーを行っているので、1週間程前に予約したのである。





たねがしま.jp
↑どちらが一段目かは謎であるが、それぞれの写真に写っている側にエンジンが繋がるそうである。(パノラマ合成の都合から写真上部左右が欠けてしまった)
左側の筒を覗き込んだ写真がここにある。
TVでロケットの発射シーンを見たことがあるが、爆発しているようにしか見えない。
しかし、あれは計算された爆発(=燃焼)なのだろう。
液体酸素や水素の入った燃料タンクで、燃焼して燃料が減るとその空間には何が入るのだろう。
単純に酸素や水素が気化して空間を埋めるだけなのだろうか。大気の薄い層を通り越して飛んでいくのだから、多分そうなのだろう。
小さくは無いが、想像していたよりは小さい。
分割しているからそう見えるだけなのかもしれない。
↑茶色の部分は断熱材とのことである。断熱材の内側は燃料(液体酸素や液体水素)を格納しているそうである。
大型ロケット発射場

赤と白で塗り分けられた2つの棟は、ロケットを支える構造物ではなく、避雷針である。
これを初めて見て避雷針と分かる人はいるのだろうか。

写真に見えるのが発射台で、この逆側(写している私の背中側)にある建屋でロケットを組み立てて発射台まで移動するのである。
バスから降りて発射場を見学することが出来ないので、窓から見ているだけである。
写真のような感じで車内で説明が行われた。
バスの左手に上の発射台が見える。
↑総合司令棟。ここは打ち上げ時にしか使用しない部屋とのことであった。
↑小型ロケットの打ち上げ装置である。固定式クレーンのような形だ。
現在の種子島宇宙センターでは、大型ロケットだけを打ち上げるそうである。
はやぶさ」を打ち上げたM-Vロケットのような小型?中型?ロケットは同じ鹿児島の内之浦宇宙観測所から打ち上げるとのことだった。
↑全景。写真中央に見えるのが前記した「大型ロケット発射場」である。
宇宙センターから門倉岬へ向かう途中(宇宙センターの敷地を出る直前の箇所)の風景。
過去何度通った道であるが、今日はじめて気づいた。

ちなみに門倉岬は工事中で入ることが出来なかった。
5月5日(木)

種子島を後にする日だ。
フェリーは14時に出航するので、それまで天女ヶ倉で時間をつぶすことにした。

写真は今回利用したレンタカーである。島内だけの短距離移動で高速道路もないので軽自動車で十分なのである。(カーナビもETCも付いていない。)
だれもいない『天女ヶ倉』。
だれもいない広々とした場所が好きなのである。
鳥居に続く階段を登ると、コンクリートの拝殿?に至る。
過去何度かここまで来たが、コンクリートの拝殿というのがしっくりせず、いぶかしい場所であった。

ところが、いままで気にすることが無かった拝殿?奥の斜面に階段があることに気づいたので、早速登ってみた。
すると、岩の祠があるではないか。

過去2回ここに来ているが、祠があることには全く気づかなかった。

どうやらこれが本体のようである。
岩の下を覗いてみた。
「明治」が浮かび上がって、怪しい雰囲気だが、この場所自体は特に怪しいことはない。
ここへ来る事があれば、登ってみる事をお勧めしよう。
↑天女ヶ倉の東の景色。過去の真夏の景色はここにある。
種子島からの3度目の出航。(厳密には4度目。内1度は種子島から屋久島に移動)

2度目の出航では、もう1度来る事があるような予感がしていたが、3度目の今回は最後になる予感がする。

最初に訪れたときの感慨は、3度目の訪問では薄れてしまった。
しかし、今後も予期しない地へ行くことができれば、また新たな感慨を持つことができるだろう。そんな機会がとても待ち遠しい。
鹿児島港に入港した。
桜島の噴煙が鹿児島市を直撃していて、風が吹くと火山灰で目や口の中がじょりじょりするのである。
午前と午後の桜島からの風向きを天気予報では図示していた。この辺りでは、火山灰は日常の一コマに過ぎない現象なのだろう。

中央から右にかけて桜島の麓が見える。
5月6日(金)

次の目的地はJR最南端の大西山駅だ。
これによりJR最東端と最南端の2つを制覇したのである。最北端は、その気にさえなれば直ぐにでも行けるが、最西端の佐世保は敷居がちょっと、いや、かなり高いな。
向こうに見えるのは開聞岳(かいもんだけ)だ。
つくづくイヤな天気だ。
ボンネットバスがやって来た。
行き先は分からないが、おそらく観光バスなのであろう。
右の灰色の車が今回のレンタカーである。1000cc程度の車(フィッツとかビッツとか言う車)を予約したのであるが、レンタカー業者の都合で1500ccの車に変更になった(料金は変わらない)。
前日の夕方までは、列車でここまで来る予定だったが、「雨」の予報だったこと、ここ西大山駅に雨をしのげる場所があるのか分からなかったので、急遽レンタカーに変更したのである。
撮影している私の右手に東屋があり、そこで雨はしのげる。また、近くに営業時間は不明だが観光案内所や自販機もあるので、1~2時間程度ならここで過ごすことも出来るだろう。
鹿児島中央駅。
「つばめ」は九州内専用らしく、JR西日本の駅からは乗車できないようである。

「みずほ」は「のぞみ」と異なり、座席が3席×2席ではなく、2席×2席なのでイス幅が広い。
しかし、ヘッドレストの角度が自分にはきつくて首が疲れるのである。
自分の首の構造が変なのか、またはヘッドレストが変な座席に偶然座ったのかどちらだろうと来る時(神戸→鹿児島中央)に考えていたが、帰りはどうであろう。
↑そろそろ帰宅である。雨と曇りの天候が、とても無念な小旅行であった。そして、ヘッドレストの角度はやはりきつかった...

おまけ画像1
種子島
おまけ画像2
大久野島