開拓の村
特にすることも無かったが、むしょうに平日に休みたくなった。
ゴロゴロしているのも勿体無いので、車で30分もかからない場所にある「北海道 開拓の村」に行くことにした。


札幌停車場

ここが入り口である。
平日だけあって空いている。

なお、この写真は来たときではなく、帰りに撮影したものである。
開拓使札幌本庁舎

札幌操車場(上の写真)とこれは移築ではなく、外見を再現しただけらしい。
↑建設中の写真があった。建物だけで周りは写っていないが、何も無い雰囲気である。何もない中に、これだけがひょっこり建っていたのだろうか。
広瀬写真館

どこかの小学校が見学にきていた。
入り口の左に写真が飾ってあったが、何時頃の写真で、写っていた人はいまどうしているのだろう。
写真館の2階。
ライトは無く、左側の窓から採光したそうである。

マネキンに座っていて欲しかった。
札幌警察署南一条巡査派出所

レンガ造りであるが、屋根は瓦だったようである。
小川家酪農畜舎

酪農地帯では、今でもこのようなサイロを見ることができる。しかし、大抵は崩壊しかけている。

ちなみに近所にもサイロが保存されている。

村内は広く、この後一休みすることになった。
青山家漁家住宅

青山家だけではなく、漁労作業者の生活の場でもあったらしい。
龍雲寺


郊外の寒村で一番立派な建物はお寺や神社である。
宗教は儲かるのだろう。
近藤医院


病院というのは、歯医者にせよ通常の病院にせよ、治療するはずなのに「痛い」のは、何故だろう。
過去に1度、一泊だけ入院したことがある。

台所にコップを放置していたところ、カビが生えてしまったので、カビキラーで落としたのであるが、その後のすすぎが不十分だったらしく、水道水をそのコップで飲んだときに、いつもは感じることの少ない塩素臭とそれらしい味を感じた。
その日の夜、就寝中に体中が痒くて目が覚めたのである。
蕁麻疹だった。
翌日も改善しなかったので病院に行き、蕁麻疹対策の注射中にアナフィラキシーで血圧が一気に低下し、そのまま倒れて1泊だけ入院することになったのである。
その時は、こんな感じだった。
1. 看護婦さんより「具合が悪くなったら言ってください」と言われ、注射が開始された。
2. 数十秒後だったと思うが、頭が勝手に下がってくるので意識して上げていないといけなくなった。
それでも頭を支えられなくなったので、「頭が上がら無い」と第一声を発した記憶がある。
3. 目を開けているはずであるが、視界が暗くなってきた。
「目が見えなくなってきました」と第二声。
4. 足が勝手に暴れている(じたばたしている)のが分かるが、止めることが出来ない。
5. 周りが騒がしくなったことと、ベットに運ばれ、足首に注射らしきものをバツバツ打たれたが、意識が薄くあまり痛くなかったことを薄っすらと覚えている。
幸い、これ以上の事は起きず翌日退院できた。頭が重くなったことと視界が暗くなった以外は痛さも恐怖も無く、一番慌てていたのは担当医だった。

ちなみに、このときの注射には、以下が含まれていた。
・強力ネオミノファーゲンシー
・何とかca
どうやら「強力ネオ〜」は、まれにアナフィラキシーを起こす人がいるようで、その一人が自分だったらしい。

カビキラーでコップを洗ったときは、少なくても匂いがしないほどすすぐのが良いだろう。
カビのみならず、自分も死ぬところだった。
馬車鉄道

馬は2頭いたので、定期的に交代しているのだろう。
流し撮りしたが、失敗しブレてしまった。
札幌拓殖倉庫内の秤。


ここに来たのは2度目である。
最初は中学生の頃である。年齢の範囲がばれてしまうので、何年前のことかは秘密だ。
そのときは、当時の友人と宿題の写生に来たのである。
友人の絵は上手で、私は下手だった。自分に絵心がない事を理解した瞬間だ。


これを書いている途中にWikipediaの「北海道開拓の村」を見て知ったのであるが、Googleのストリートビューで村内を見ることが出来るのである。
私の写真は全くの徒労だったようである...


ところで、これは水飲みなのだろうか、それとも消火栓なのだろうか。知っている人はここから教えて欲しい。