開拓の村

2011/8/30(火)

札幌停車場の写真
札幌停車場
特にすることも無かったが無性に平日に休みたくなった。
ゴロゴロしているのも勿体無いので車で30分もかからない場所にある「北海道開拓の村」に行くことにした。
ここが入り口である。平日だけあって空いている。
なお、この写真は来たときではなく帰りに撮影したものである。
開拓使札幌本庁舎の写真
開拓使札幌本庁舎
札幌操車場と開拓使札幌本庁舎は移築ではなく外見を再現しただけらしい。
高画素版はここ
建設中の写真があった。建物だけで周りは写っていないが何も無い雰囲気である。何もない中にこれだけがひょっこり建っていたのだろうか。
広瀬写真館の写真
広瀬写真館
どこかの小学校が見学にきていた。
入り口の左に写真が飾ってあったが、いつ頃の写真で写っていた人はいまどうしているのだろう。
広瀬写真館の写真
写真館の2階
ライトは無く左側の窓から採光したそうである。マネキンに座っていて欲しかった。
札幌警察署南一条巡査派出所の写真
札幌警察署南一条巡査派出所
レンガ造りであるが屋根は瓦だったようである。
小川家酪農畜舎の写真
小川家酪農畜舎
酪農地帯では今でもこのようなサイロを見ることができる。しかし大抵は崩壊しかけている。
ちなみに近所にもサイロが保存されている。
村内は広く、この後一休みすることになった。
青山家漁家住宅の写真
青山家漁家住宅
青山家だけではなく漁労作業者の生活の場でもあったらしい。
龍雲寺の写真
龍雲寺
郊外の寒村で一番立派な建物はお寺や神社である。
宗教は儲かるのだろう。
近藤医院の写真
近藤医院
病院というのは歯医者にせよ通常の病院にせよ治療するはずなのに「痛い」のは何故だろう。
近藤医院の写真
過去に1度1泊だけ入院したことがある。
台所にコップを放置していたところカビが生えてしまった。カビキラーで落としたのであるが、その後のすすぎが不十分だったらしく水道水をそのコップで飲んだときにいつもは感じることの少ない塩素臭とそれらしい味を感じた。
その日の夜、就寝中に体中が痒くて目が覚めたのである。蕁麻疹だ。
翌日も改善しなかったので病院に行き蕁麻疹対策の注射中にアナフィラキシーで血圧が一気に低下し、そのまま倒れて1泊だけ入院することになったのである。
その時は、こんな感じだった。
  1. 看護婦さんより「具合が悪くなったら言ってください」と言われ注射が開始された。
  2. 数十秒後だったと思うが頭が意図せず下がってくるので意識して上げていないといけなくなった。それでも頭を支えられなくなったので「頭が上がら無い」と第一声を発した覚えがある。
  3. 目を開けているはずであるが視界が暗くなってきた。「目が見えなくなってきました」と第二声を発する。
  4. 足が勝手に暴れている(じたばたしている)のが分かるが止めることが出来ない。
  5. 周りが騒がしくなったことと・ベットに運ばれ足首に注射らしきものをバツバツ打たれたが意識が薄くあまり痛くなかったことを薄っすらと覚えている。
幸いこれ以上の事は起きず翌日退院できた。頭が重くなったことと視界が暗くなった以外は痛さも恐怖も無く、一番慌てていたのは担当医だった。
ちなみに、このときの注射には以下が含まれていた。
  • 強力ネオミノファーゲンC
  • 塩化カルシウム
どうやら「強力ネオ~」は、まれにアナフィラキシーを起こす人がいるようで、その一人が自分だったらしい。
カビキラーでコップを洗ったときは少なくても匂いがしないほどすすぐのが良いだろう。カビのみならず自分も死ぬところだった。
馬車鉄道の写真
馬車鉄道
馬は2頭いたので定期的に交代しているのだろう。
流し撮りしたが失敗しブレてしまった。
札幌拓殖倉庫内の秤の写真
札幌拓殖倉庫内の秤
ここに来たのは2度目である。最初は中学生の頃であるが年齢の範囲がばれてしまうので何年前のことかは秘密だ。
札幌拓殖倉庫内の秤の写真
中学生の頃、当時の友人と宿題の写生に来たのである。友人の絵は上手で私は下手だった。自分に絵心がない事を理解した瞬間だ。
これを書いている途中にWikipediaの「北海道開拓の村」を見て知ったのであるが、Googleのストリートビューで村内を見ることが出来るのである。
私の写真は全くの徒労だったようである...
ところで、これは水飲みなのだろうかそれとも消火栓なのだろうか。知っている人はここから教えて欲しい。

本ページで写真を掲示するために北海道開拓記念館の承認を得ている(承認第13-63号)。