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6:10上野発の新幹線に乗るため、今日は4時に起きた。
寝過ごすと、関東まで来た目的が水泡に帰すことになるので、ホテルの部屋に据え付けてある物と携帯電話の2つの目覚ましをセットした。
なお、それぞれの時計の若干のずれから、部屋据え付けのが先にアラームを鳴らした。

これは宇都宮駅の東側、上り線(東京方面)ホームの窓からの様子だ。
ホームが駅の中央にあると駅外にでないと撮影できないが、線路がホームの中央にあるので、ホームから撮影を行うことができる。
宇都宮駅には初めて来るので、ホームから撮影できるのか、また撮影できない場合、どこで撮影するのか等々を心配していたが事なきを得た。

新幹線で通勤している人を背後に、日食の撮影を開始した。(ホームの東京寄りの端で撮影)
通勤途中なんとなく撮影している人が数名、私と同様に腰をすえて撮影している人が1名いた。
また、写真下側の歩道のベンチに座り、三脚にフィールドスコープらしき物を据えて観察している人が2名ほど、新幹線車内の窓から観察グラスで見ている人も数名いた。
6:59

宇都宮に到着した時点で既に日食は始まっているが、欠け始めは過去の日食で見ているので、特に未練はない。
そもそも、今以上早く宇都宮に来る交通機関が無い。
7:14
7:27
7:35

金環日食。

はっきりと暗くなったのがわかった。夕方ちょっと手前の明るさだったと思う。
この瞬間の為に、関東まで来たのだ。
7:36
7:40
7:54
8:11

この頃になると、中腰になり太陽を見上げる姿勢でないとホームの窓からは写せない高さだった。
この姿勢がどのように他の人から見えたのかは分からないが、格好よくはなかっただろう。
ただ、私のその姿勢をみた人と再び会うことは無いと思うのであまり気にしなかった。
(もし、その誰かと再び会うことがあれば、それはまさに「縁」なので、それはそれで良い)

後で知ったことだが、東京でも雲越しに観察できたそうである。
しかし、ここ宇都宮はほとんど雲も無く観察できたので、来た甲斐があったというものだ。
撮影を終え、今度は山形県の山寺へ向かう。
これは宇都宮駅-西口の様子をホームの窓ガラス越しに写したものだ。(携帯電話で撮影)

宇都宮→(09:51発の新幹線)→山形(11:46到着)→(12:42発の仙山線)→山寺(12:58到着)の経路で向かう。



新幹線で東京まで通勤している人がいるらしいが、そこまでして東京で働きたいのだろうか・・・私には理解できない。
これは、山形新幹線の福島駅から米沢駅間の車窓の様子である。
なんとなく乗車した気分になって見てほしい。
山形駅では1時間ほど待ち時間があったので昼食を済ましてから、山寺へ向かう仙山線に乗車した。
山形駅から20分程で山寺駅に到着する。コインロッカーに荷物を入れ、早速山寺へ向かった。

実は、ここ山寺を訪れるのは2度目である。私の年齢の見当が付いてしまうかもしれないので何年前かは書かないが、友人の車で東北旅行をしたことがあるのだ。
山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。
一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。
日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。
岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。

閑さや 岩にしみ入 蝉の声



芭蕉と弟子の曾良(そら)の像。どちらがどっちなのかは失念してしまった。
根本中堂。

駅から続く道案内の看板に従い進むと、最初に現れる建物で山裾にある。
ここから先は、急な階段を登ることになる。
このような急な階段をひたすら登り続ける。
普段から運動、いや、歩行とは無縁の生活を過ごしているので、すぐに足が震えだす。半分ほど登ったあたりからは、頻繁に休憩をとっていた。
やけに健脚な中年女性が、顔色一つ変えずぐいぐい上って行く様に、自分がちょっとかっこ悪かった。しかし、私より若く見える西洋人には勝った(単にゆっくり見物していただけかもしれない)。
見物は下りで行うこととして、まずは頂上にやってきた。
疲労と暑さで、少しぼーっとしている。

左側は大仏堂、右側は奥之院、階段に挟まれて金灯篭がある。
奥之院の辺りでおみくじ(100円)を引いたところ「吉」だった。
分かりにくいが、写真中央は釈迦ヶ峰と言う修行の岩場だ。
出世や欲望のための修行者が、ここから転落したことも多かったらしい。
左の赤い小さな建物は写経を収めた納経堂で、山内で最も古い建物である。
右は開山堂で、山寺(=立石寺)を開いた慈覚大師のお堂である。
Wikiを読むと、この人はあちこちでお寺を開いたそうである。お寺を開くというのがどんな事なのか分からないが、割と簡単に開けるのだなと思うほどの数を開いたようである。

写ってはいないが、開山堂の右に五大堂へ渡る階段が続いている。
山寺と言えば、岩の上の納経堂でも有名ではないだろうか。
そんなわけで、納経堂にあやかった写真を私も写した。

初夏なので、芭蕉が詠った「蝉の声」はまだ聞こえない。
五大堂の様子。
日陰になっていて、体を冷やすのに丁度良い風も吹いている。

この背面(つまり私の背中側)の開口部の枠上には千住札代わりの名詞等が沢山挟まれていた。
当たり前といえばそれまでであるが、掃除、または整理しているようで前回訪れたときよりも量が減っていた。
今回は何もしなかったが、前回は当時の仕事と関係するテレホンカードを挟んだ覚えがある。
眼下の景色。
この後、山を降りてここの東屋でしばらく足を休めていた。

これはその時に撮影したものである。左が五大堂、右が開山堂だ。
五大堂には、もう一生会うことも、誰か知ることも無い2名が小さく写っている。
山寺駅の向かいに現在は展示場として用いられている「山寺ホテル」がある。
帰り道、ここに入るまでは、今も営業中のホテルだと思っていた。そして宿泊料は1泊1~2万程度だろうな等と勝手な想像をめぐらせていた。

(写真をクリックし)元サイズので入り口横の看板を見ると「レトロ館原画展」が行われているのがわかる。

ホテルと旅館の違いがよく分からないが、中を見た限り私の基準で言うと旅館である。
山寺とその周辺を撮影した動画だ。

中盤の鉄橋を渡る電車は山寺駅14:58発の仙台行きだ。
もう少し体力があれば、これに乗っていたのだが足の疲労状況から、こうして見送るしか無かったのである。

結局、15:59発で仙台へ向い、そして車内では爆睡していた。
ここに到着したのが12:58なので、3時間滞在したことになる。

今日は仙台で一泊する。


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