樺戸集治監(かばとしゅうちかん)の存在を知ったのは、たしか博物館網走監獄の展示物を見たときだったような気がする。さらに、月形町を通る国道を走っていると博物館を示す標識も目に入る。
このような次第で、そのうち訪れてみようと思っていたのである。
この建物は旧樺戸集治監本庁舎で博物館の入り口でもある。博物館は、この建物と博物館本館から成る。さらに順路通りに進むと農業研修館を通り、出口に至る。
ひさしぶりにパノラマ合成写真を掲示したが、露出固定を忘れていて写真のつぎ目が目立ち、さらに継ぎ目が食い違っている箇所もある。後者は、今回から使用し始めたMicrosoft社のフリーソフトImage Composite Editorが原因である。
最初の展示室。
展示物を読むと、集治監が単なる刑務所ではなく、明治維新と関係が深かったことがわかる。
これは意外な知見であった。
集治監の目的は、次の通りである。
- 明治政府に反抗する危険分子や凶悪犯を隔離して、治安を維持することができる
- 囚人の安い労働力を利用して開墾させるとともに、自給自足させれば経費も軽減できる
- 更生した囚人を北海道に定住させ人口を増やせる
気になるのが3点目だ。
人口に影響を及ぼすほどの囚人、しかも樺戸集治監は12年以上の長期刑者しかいない。もし、これが実現していたら北海道は修羅場になっていただろう。
ちなみに、樺戸集治監は原野の開墾が目的だったそうである。
集治監外での労役から戻ってきたシーンだ。
展示物に脱走者数の表があり、それによると有期刑者にくらべ無期刑者は桁違いの脱走者数だったようである。
出所できる見込みがないのであれば脱走するしかないだろう。
博物館に隣接した農業研修館の展示物だ。
説明らしきものは見当たらなかったが、昔の生活風景を模した物だろう。
子「母さん、本当は男なんじゃね?」
父「そういわれると、そうだな!」
母「(やべっ)」
右の母親を模したマネキンは、どうみても男にしか見えない。
この「石油庫」も本庁舎と同じく当時からの建物である。
灯火に用いる油を保管していたようである。
博物館の入館料は300円である。展示内容は入館料を十分に上回っているだろう。
円山の展望台に来た。
ここ円山を樺戸集治監の囚人により開削された「峰延道路」(=樺戸道路=道道月形峰延線)の測量の基準点にしたそうである。