いつでも行けると思うところには、いつも行かない。
この連鎖を断ち切って今日は石炭博物館に来た。
入館料は1230円。なんだか半端な料金だ。
入館口付近を除きトイレがないので済ませておくのがよいだろう。
敷地一帯にはトイレ小屋がいくつかあるが、どこも閉鎖されていた。
二酸化炭素の排出ですっかり出番が少なくなってしまった石炭。
このパネルは、そんなことが問題にされるようにな前に作られたのだろう。
夕張の石炭はメタセコイアが堆積して出来上がったらしい。
これはメタセコイアの模型だ。
全般的に説明が少ない気がする。展示物がただポンと置いてあることが多い。
書籍がいきなり展示してあるが、どこに所蔵されていたものなのかも不明だ。
坑内は冷房を効かせ過ぎた部屋のように寒い。
時代別の採炭方法がマネキンにより展示されている。奥に進むにつれ時代が進む。
採炭する者を先山(さきやま)といい、その石炭を運搬する者を後山(あとやま)という。
法律で禁止されるまでは後山に従事する女鉱夫もいたそうである。過酷な重労働だ。
馬で運搬していたこともあったそうである。1週間は坑内で運搬し次の1週間は外で保養することを繰り返したそうである。最悪だ。
容器の下に液体の水銀があり、こちらが陰極となる。タコの足に相当する部分に陽極がある。
陽極から陰極の方向にだけ電流が流れる性質から半波整流を行える。
位相の異なる複数の陽極を用いることで全波整流になる(らしい)。
機械が炭塵で汚れていないのは、れを落としたからなのか展示用のために作成されたものなのかどちらだろう。
坑道のこの先に「まっくら探検」の坑道がある。
館内やここに至る坑道がすでに十分に暗いので心配無用である。
ここは「まっくら探検」の坑道である。
1981年の事故のことを僅かに覚えている。
当時はどこか遠い所の出来事程度であったが、札幌からわずか40分程度で来られる場所の事故なのである。
地図を見ると分かるが、
石炭博物館と事故のあった
北炭夕張新炭鉱は離れているが、どちらも北炭である。
それにしても、この救助バルブ袋で救助を待つのは、どれほど心細い事だろう・・・。
鉄のつっかえ棒で天井を支えられるというのも驚きだ。
出口の右側に石炭の露頭が広がる。
露頭手前の倉庫のようなものは、露頭下部に掘られた坑道に関係する構造物らしい。
中国の需要増から石炭価格が上昇し採算性が高まってきているそうである。
炭鉱に再び活気が戻る日は来るのだろうか。
なお、本サイトには
釧路と
美唄の炭鉱関連施設跡の写真もある。