稚内駅-JR端駅の制覇
10月4日(火)

今年最後の遠出は、JR最北端の稚内駅だ。今回でJR端駅を制覇するのである。
日帰りを考えていたが、朝早く起きれそうになかったので1泊することにした。


途中の風景。
肉眼ではもっと銅色が強く見えていたのであるが、写真ではそれほどでも無くなってしまった。
場所は失念したが、蕎麦の産地らしいので、これは蕎麦畑だろうか。
旧深名線の第三雨竜川橋梁。
休憩を兼ねた寄り道もしたが、予定通り17時に宿泊地に到着した。

天気は晴れ。
旅館の部屋で2〜3時間休んでから、O-GPS1を持って空を写しに出かけた。

雲は無いが霧か何かが薄っすらかかっていて、水平線ではこれが顕著に現れている。
中央より少し左側は利尻山(利尻富士)である。

この霞が無ければ、利尻山と夜空が綺麗に撮影できたことだろう。
↑左:北防波堤ドーム。右は翌朝に写したものである。
↑全景。意外と長い。
作られた当時は、(この写真の)左側まで線路が伸びていたそうである。
次に、今回の目的地である稚内駅へ行った。
南稚内から電車で行こうかと考えたのだが、南稚内へ戻る電車を1時間程度待たなくてはならないので、諦めた。
このため、入場券で構内に入った。
(初めて、駅構内への入場券を購入した)
線路とホームは、写真のように各1つしかないが有人駅である。
なんとなく夕張駅を思い出した。

駅ビルの建設中であった。両側が建築物に挟まれていて窮屈な感じだ。


以下に東、西、南の各駅の様子を記したので、時間のある方は見て欲しい。
東根室駅
西 佐世保駅
西大山駅
次に開基百年記念塔に来た。

1Fと2Fは北方記念館となっている。
展望台には1Fからエレベータで行くことができる。このエレベータに途中階はない。
↑塔の前にある小さな展望台からの風景。
1Fは稚内の歴史と間宮林蔵と樺太探検に関して、2Fは樺太に関する史料館である。

これは2Fに展示してあった戦前の樺太観光のパンフレットである。『植民地』や『内地』という表現がレトロな感じだ。
昭和11年の資料にしては、状態良く保存されている。
写真をクリックして拡大して読んでみてほしい。
読めない漢字が所々にあるが、5〜6日間の旅程らしい。
料金の概算合計が「四六、三八」と記されているが、おそらく46円38銭なのだろう。
昭和11年の1円は、現在にすると約1760円程度らしいので81600円になる。
係数(1760倍)が正しくないのか、思ったよりも安い。

昭和11年 平成23年 メモ
船車賃 23円38銭 41100円 特に根拠はないが、なんとなく納得できる金額である。
食費 2円50銭 4400円 どうやら船車賃に食費も含んでいる箇所があるようだ。
自動車 11円50銭 20240円 船車賃と、この自動車の関係が不明。
宿料 9円00銭 15840円 3泊分のようなので、1泊あたり5000円。安いビジネスホテル程度だ。

2Fの様子。

中央に見えるのは、樺太の北緯50度、ロシアと日本の国境標識の模型である。
2Fから1Fに戻り、今度は展望台に上がる。

エレベータを降りると、目前には稚内駅周辺が見える。
天候によっては樺太が見えるそうである。



左下 うっすらと利尻山が見える。
塔の影。駐車場には私の車が見える。
展望台の様子。

展望台に付き物の有料双眼鏡(100円)が設置されている。
有料なのはしょうがないが、かと言って料金を払ってまで見ようとは思わない。
そんなわけで双眼鏡は持参した。
少し車を走らせてノシャップ岬までやってきた。

すぐ隣には水族館と科学館がある。
最後の旅程は水族館の見学である。

クリオネも展示されていたが、ピントを合わせられず撮影は断念した。
水面に向かって泳ぎ、水面近くまでくると脱力?し底に沈んでいくのを繰り返していた。

屋外にはペンギンやアザラシが居る。アザラシの水槽に近寄ると餌をくれるのかと数頭が近づいてくる。






これが、今年(2011年)最後のデジカメ風景である。