北へ(平泉 前編)

2012-05-22(土)

今日は、仙台駅から北上駅への移動で始まる。
宿泊したホテルの自販機で見慣れないコーヒーを購入し、写真にも収めた。時間とお腹の都合からホテルでは無く、移動先の北上駅で飲んだのであるが、抹茶の味を出すためなのかコーヒーの味が薄く、そして抹茶は後味として感じる程度であった。3点満点で評価すると1点である。落第だ。
下左側写真は仙台駅前の様子、真下のは仙台駅在来線改札口の様子だ。
5/21にも記載したが友人と東北旅行をしたときに仙台に宿泊したので駅前の様子はうっすらと覚えていた。そのとき、牛タンの店を探したが結局は食べられなかったことを覚えている。ただ、店を見つけられなかったのか、予算の都合だったのか、理由は覚えていない。
なお、今日の風景は写真が多いので前半と後半にページを分けた。
また、ひたすら見て回った一日だったので、写真毎のコメントがいつにも増して少ない事をご容赦頂きたい。
今日の予定は次の通りである。この順序で写真を載せよう。
  1. 無量光院跡
  2. 柳之御所遺跡
  3. 高館(義経堂)
  4. 中尊寺
  5. 金鶏山(ここから後編)
  6. 観自在王院跡
  7. 毛越寺
  8. 達谷窟毘沙門堂
これは、東北新幹線仙台駅から隣の古川駅の車窓の様子を携帯電話で動画撮影したものである。
なんとなく乗車した気分になってほしい。
09:46
さて、いきなりであるがここは平泉の「無量光院(むりょうこういん)跡」だ。
仙台から北上駅に到着後、今日から2泊する南部ホテルに荷物を置き北上駅から平泉駅まで電車で移動した。
そして、平泉駅前のレンタルサイクル店で自転車を借り、最初の見物場所であるここにやってきた(自転車は1日1000円のコース、6段変速機付きだった)。
現時点の天候は晴れ、天気予報では午後から曇り、そして夜は雨との事である。夜にはホテルに戻っているので、天気予報通りなら計画通り平泉を巡る事ができるだろう。
とは言うものの、自宅で2~3時間かけて熟考し作成した平泉の観光コースを記した紙を荷物と一緒にホテルに置いて来てしまった。
どこかで観光案内の冊子等を入手しなくてはならないと思っていたが、レンタルサイクル店で観光モデルコースを記した紙を、簡単なコース説明と共に得ることができた。
偶然なのか、それともだれでも考えることは一緒なのか、そのモデルコースと私が考えた観光コースは巡る順序までほとんど一緒であった。
差は、モデルコースの方が回る箇所が2箇所ばかり多かった点である。
平泉観光協会のWEBを見ると水を湛えた池が見えるが、現状は写真の通りの様子だ。
どうやら、池の水は一時、試験的に満たしただけのようである。
野球をしたり自転車で走り回ったりするな等の看板はなかったが、近隣に住む子供たちは、ここで遊びまわったりするものなのだろうか。
遺跡なので遊び場所ではない旨のお達しが行渡っているのだろうか。
眺めていてもしょうがないので、碑の立っている辺りまで行ってみたが、歴史の情緒に疎い私には原っぱでしかなかった...
なお、ここは世界遺産「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つである。
高画素版はここから
10:00頃
「跡」と「遺跡」の違いは何だろうと思いながら、無量光院跡の近くの「柳之御所遺跡」に移動した。
ここには池と隣接して「柳之御所資料館」がある。
この動画は、池の様子を写したものである。
資料館で私の気を強く引いたのが、写真の汚物廃棄穴と「ちゅう木」である。
うんこ系は健全な男児の絶好の興味の対象ではなかっただろうか。過ぎ去った興味の対象への熱い思いを、私は資料館で見出したのである。
ちゅう木は、アイスキャンディーの平たい棒を長さ20cm程度、幅3cm程度にした大きさである。
遺物としてのちゅう木には、ささくれは見当たらなかったが、当時の実物はどうであったのだろうか。ささくれに気づかずに使用すると、クリティカルな状況に陥ったのではないかと心配である。
また、どのように使用するのがエレガントであったのだろうか。興味が尽きない。
今後、アイスキャンディーを食べるときは、ちゅう木のことを思い出すことに決めた。
次は高館(たかだち)義経堂(ぎけいどう)である。
詳しい説明は、ここを読んでほしい。
柳之御所遺跡から(歩行者等向けの)高館義経堂への方向標識をたどると、容易にたどり着ける。
自転車は、湾曲した坂を上った所に止めたのであるが、この湾曲した坂を漕いで上る脚力が無く、手で押しながら上ることになった。
上った先には他に2台の自転車があったが、いずれも電動アシスト付きのレンタルサイクルであった。
自分も電動アシスト付きのをレンタルすればよかったのに、いや、いつも運動しないのだから、たまにはこのような疲労も必要なのだ、しかし自分が借りた所には電動アシスト付きのは無かったぞ等と考えながら、今度は階段を上がったのである。
階段を上がりきった突き当りを左に進むと、義経堂がある。
堂には義経像が祀られている。
(撮影している私がガラスに写り込まないように斜めから撮影した)
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。
先高舘にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高舘の下にて大河に落入。
泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。
偖も義臣すぐって此城にこもり、功名一時の叢となる。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時の移るまて泪を落し侍りぬ。

夏草や 兵どもが 夢の跡

  • 秀衡(ひでひら)とは、この辺りを支配した奥州藤原氏の三代目当主。
    次の当主、泰衡(やすひら)が源頼朝に間接的に殺害され奥州藤原氏は滅亡した。
  • 「金鶏山」頂上の写真は、この後に掲載した。
  • 衣川は、ここにある。
  • ここ高館から北上川の流れを眺めることができる。
義経堂の隣には、資料館らしきものがあった。
ちなみに、私の故郷である北海道には義経神社がある。2011/6/19に撮影した写真がここにある。
続いて中尊寺
ここまでの道は概ね平坦だった。
まずは金色堂を目指す。
金色堂(こんじきどう)
であるが、この写真は金色堂の覆堂(おおいどう)である。金色堂自体は撮影禁止だ。
有名でありながら、これほど撮影に不向きな対象も珍しいと思う。
この写真のような角度からしか撮影する場所がないのである。しかも覆堂はコンクリート造りである。
金色堂は、この覆堂の中でガラスケースに覆われている。
金色堂自体は屋根以外が金箔に覆われていて、内部も漆・金箔・金粉・螺鈿で覆われている。たしかに金色堂と言うのに相応しい堂であった。
写真はここに、また昭和の修理に関する非常に興味深い動画がここにある。
動画では、この写真とほぼ同じ角度で旧覆堂に覆われていたときの様子が一瞬であるが写っている。

五月雨の 降のこしてや 光堂

経蔵(きょうぞう)
兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝散うせて、珠の扉(とぼそ)風にやぶれ、金(こがね)の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。
暫時千歳(せんざい)の記念とはなれり。
旧覆堂(きゅうおおいどう)
昭和の修理の前、金色堂はこれに覆われていた。
旧覆堂を移動したのか金色堂を移動したのか、どちらなのか疑問であったが、先に紹介した動画で旧覆堂を移動したと分かった。
しかし、金色堂も修理のために完全分解していたので、どちらを移動したのかという疑問は、あまり意味を成さないことも分かった...
釈迦堂
能舞台
能舞台
弁財天堂
阿弥陀仏堂
鐘楼(しゅうろう)
大日道(だいにちどう)
不動堂
不動堂の中
峯薬師堂(みねやくしどう)
峯薬師堂の中
本堂の入り口
観音堂
本堂の境内(伽藍?)内だったはず。
薬師堂
地蔵堂
お休みのようである。
地蔵堂から弁慶堂へ向かう月見坂の様子
弁慶堂
八幡堂(はちまんどう)
ここまでで中尊寺内の堂の9割は写真に収めただろう。

堂で、ありがたみも何も何処かへ行ってしまった...

ここまでが中尊寺である。

武蔵坊弁慶の墓碑
中尊寺の入り口の外にある。