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今日は宮沢賢治の故郷、花巻を巡る。 昨年の2月頃が「花巻へ行きたい」と思っていたピークで、今はその熱も冷めてしまったが訪れることにしたのである。 市内の九箇所を回る予定である。しかし、それぞれが歩ける距離間には無いのでレンタカーを使用する。 普段から運動をしない私は、この2日間だけで今年1年分の運動をしたような状態だったが、今日は足を休められる。 最初の目的地は「桜地人館」であるが、この写真は「同心屋敷」のものである。 桜地人館の近くに同心屋敷があったので立ち寄ってみた。 |
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桜地人館の開館(9時)まで、少し時間があるので車の中で缶コーヒーを飲んだり、今日の予定を携帯電話に入力したりしていた所、突然強烈な便意をもよおした。(コーヒーの種類により、時々こうなる) 住宅地なので人目につかない場所は無く通報される恐れのある行為は出来ない、見も知らぬ場所なので公衆便所の見当も無いしどうしたものかと遠い目をして考えていた。 しかし、ここは(一応)観光地である。近くにトイレがあるはずだと考え、おぼつかない足取りで周辺を少しうろつくと公園を見つけた。公園には便所があることが多いので行ってみると予想通り便所を見つけることができた。 ちなみに、近くにもう一箇所あるので、ここで私と同じ境遇になった人がいても心配無用だ。 |
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桜地人館は私設の美術館である。内部は撮影禁止なので、写真はこれだけである。 館内では、お茶とお茶菓子をご馳走になりながら「雨ニモマケズ」碑を建てたとき(昭和11年)の映像を見ていた。登場人物は所謂地元の名士的な人なので、私には遠い所の内容であった。 |
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「雨ニモマケズ」碑。 桜地人館の近くに碑がある。 碑が建つ前、ここには宮沢賢治の私塾「羅須地人協会」の建物が立っていたそうである。現在は移築されている。 下の写真と動画は、碑のある丘の下に広がる「下ノ畑」を写したものだ。 宮沢賢治を知る人にとって「下ノ畑」は有名な場所らしいが、何のことか分からなかったので調べてみた。 宮沢賢治が「下ノ畑」で作業をしている間、「羅須地人協会」の生徒へ居所を伝えるために建物横の黒板に「下ノ畑ニオリマス」と記した、その「下ノ畑」の事であった。 現在の「下ノ畑」に当時の面影は無いらしい。 |
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続いて「イギリス海岸」にやってきた。 河川の水量が少ないときに見える泥岩層が、イギリスのドーバー海峡に面した海岸を連想させることから宮沢賢治がこう呼んだ場所である。 しかし、写真の通り水量が多く泥岩層は川底にある。 それらしい場所が無いものか探しながら川沿いの遊歩道を歩いていると、誰かが私に声を掛けてくる。 「すこし休んでいったら」と言われ、断る理由もなかったのでボランティアが運営している「胡桃の森」という休憩所に上がらせてもらった。観光客は私だけで、その後地元の人が一人また一人と訪れてきて最終的に5名の状態となった。 コーヒーとお茶と山菜の和え物をご馳走になりながら、(概ね地元の人のローカルな話の聞き役であったが)かなり無口な私なりに話を(咲きはしなかったが)咲かせた。 ボランティアの方の話では、最近は川の水量が多く泥岩層が見られることは「まれ」とのことであった。ただ年に一度、宮沢賢治の命日に上流ダムの放水量を減らして「イギリス海岸」を出現させるそうである。 9月21日が命日なので、この頃に観光を予定している人は日程を調整すると良いかもしれない。 下の左側は休憩所から川を写したもので、右側は「宮沢賢治なりきりセット」を着用した私をボランティアの方が撮影したものである。 羽織っているのはマントである。マントを羽織ったのは齢云十歳にして初めての経験だ。 |
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休憩所前で見送ってくれるボランティアの方へカメラを向けるわけにもいかないので、休憩所の写真は無い。 代りに、案内板の写真を載せよう。 ありがとう「くるみの森」の方々。 |
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イギリス海岸の様子を撮影した動画。 |
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次は宮沢賢治記念館である。 ここには、宮沢賢治の著作物の原稿等が展示されている。 原稿は丸っこい字体で書かれていたが、畏まった手紙等は普通の楷書で書かれていた(ように見えた)。 |
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館内での撮影は禁止なので、外の景色を見られる休憩所から館内方向を撮影してみた。 中央に見えるチェロが宮沢賢治のもので、隣のバイオリンは妹のトシのものである。 下の写真は、この休憩所からの様子である。 宮沢賢治の童話作家以外の側面をここで知ることができるだろう。 |
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次に記念館からすこし離れた花巻市博物館へ行った。 普通のよくある博物館である。下2枚の写真は内部のものである。 この辺りには、「宮沢賢治童話村」や「宮沢賢治イーハトーブ館」もあるが、今日の予定と秤にかけた結果、いつになるか分からない次の機会に訪れることに決めた。 |
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つぎは三熊野神社(みくまのじんじゃ)だ。 ここが「泣き相撲」で有名な神社であることは、来てから知った。 |
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↑左から、本殿→「泣き相撲」の土俵が見える。 | |
「泣き相撲」の土俵。 | |
三熊野神社に来た私の目的は、この「毘沙門天像(びしゃもんてんぞう)」を見るためである。 写真撮影は禁止なので、この写真は見なかった事にしてほしい。(フラッシュを用いずに撮影した) 贖罪のために、100円のおみくじを引き(山寺と同様に、ここでも吉が出た)、東日本大震災で倒れた像の修復寄付も行ったので堪忍してほしい。 この写真の最右の像(腕をクロスした像の後ろ)の首が無いのが見えるだろうか。震災で倒れて首が外れてしまったとのことである。 |
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次は丹内山神社である。 「丹内山神社の七不思議」を見るのが目的であったが、境内を歩き回っているうちに本来の目的を忘れてしまっていた... 歩き回っていて感じたのは、朽ち果てつつある感である。 人が歩く場所は下草が生えないが、ここでは一面が覆われていた。そして、境内図⑥の社殿は屋根の一部が破損していた。その一方で、電線が貼られていたり、スピーカが設置されていたりするので妙な違和感を覚える。 |
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↑先ほどの境内図で⑧の辺りから、⑥~⑤の方向を撮影した。↓③の鳥居。 | |
↑境内図②の御本社。御本社の後ろの坂の上に↓胎内石がある。 | |
旧小原家住宅。 丹内山神社へ行く経路脇にあったので、その帰りに寄ってみた。中にも入れるのだが、近所の人の井戸端会議場になっているようなので、外から見るだけにした。ここは、それだけである。 下は、めがね橋(宮守川橋梁・達曽部川橋梁)である。 次の目的地「早池峰と賢治の記念館」へ向かう途中、道路標識で見つけ少し遠回りになるが立ち寄ったのである。 めがね橋の目の前には道の駅みやもりが、さらにその向かいにコンビニがあったので少し遅い昼食をとった。 ところで、旅行の話をすると、ほとんど人が「何か美味しいものを食べたか」と聞いてくる。 しかし、私は食べ物の味に対する執着がほぼ皆無な味音痴である。「まずい」か「まずくない」かの二択だ。だから旅行中もコンビニやフランチャイズのレストラン・定食屋で十分なのである。お金がかからないので、味音痴で良かったと思っているくらいであるが他の人はそうでは無いようなので、「何を食べた」と聞かれるのがとても嫌なのである。 「まずくはなかった」とありのままを返答したことがある。すると、明らかに怪訝そうな顔されたことがある。その怪訝そうな表情は、本来私が行うべき表情なのだ。 なお、「文化水準の低い人ほど、食べ物にこだわる」というのが持論である。 先人達の努力により、今では安心して食事をすることができる日本がある。だからこそ食べ物への執着心を他の事に向け、更なる文化水準の向上を目指すべきである、という意味だ。 |
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早池峰と賢治の展示館。 「猫の事務所」のモデルとなった建物ではないかと言われている、とのことから訪れることにした。 下は館内の写真だ。 左は、宮沢賢治の定宿だった石川旅館の雛人形で、右はもろもろの展示室だ。猫は記念写真用のセットであろう。 |
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注文の多い料理店に用いられた版画の原画らしい。 他にもいくつか原画も展示されている。 |
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次は、羅須地人協会の建物だ。 今日、最初に訪れた桜地人館近くの「雨ニモマケズ」碑の場所に元々は建っていた。 今は花巻農業高校の敷地内に移築されている。16時まで見学可能のようであるが、既に過ぎてしまっていた。 しかし、部活動中の生徒が居たので変に怪しまれることもないだろうと思い、ふらふらと入っていった。 学校の周りをランニングしている生徒は皆「こんにちは」と挨拶をしてくるので、私も返事をしながら進む。私が高校生の頃どうだったか思い出してみると、見知らぬ人へ自発的な挨拶はしない生徒だった... 見学時間内は建物内を見学できるようであるが、今はこうして外から見るだけである。 観光客用の駐車場を見つけられなかったで、向かいの花巻空港の封鎖されている管理用道路の入り口に駐車したが、そもそも観光客用の駐車場はあるのだろうか。 |
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葛丸ダム。 ここで見た葛丸渓流を目指していたのだが通り過ぎて終点まで来てしまった。 よくあるロックフィルダムで、この碑がある他は特に何もない。 |
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レンタカーの紹介。 CVTという変速機で、変速ショックが無い。カーナビが付いている。給油口の開口方法が分からず、すこしあたふたしたが説明書を見て分かった。車の説明書を読んだのは、これが初めてである。 坂道で非力さを感じるが、私のより良い乗り心地だ。 |
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これと言った見所の無い葛丸ダムへ続く道の途中に滝があった。 道路から私が今立っている場所まで階段が続いているが、階段はここで終わり、この先は何もない急斜面になっている。 このような構造から、階段は滝鑑賞専用の物であると考えることができる、ってどうでも良いことであった。 もしかして、この辺りが葛丸渓流? つづいて今日最後の目的地、「清水寺」を目指す。 |
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本日、最後の目的地。 清水寺の、この山門が目的である。 古い建物と思っていたが、Wikiには昭和2年に作られたと書いてあり、割と新しい建物だと言うことを、これを書いている今知った。 とは言え、山門の複雑に見える作りは、大変興味深いものである。 建物の足元を見ると、石の上に乗っかっているだけに見えるが実際はどうなのだろう。 |
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側面には階段があり、2階部分に登ることができる。 2階部分は手すりのように見える柵があるが、高さは膝程しかない。 2階部分はそれほど高くは無いが、柵の低さが落っこちうる感をかもし出すので、ひさしぶりに臀部の特定部分がキュルキュルするのを感じたのであった。 |
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観音堂。 山門をじっくり見ているうちにレンタカーの返却時間が近づいてきてしまった。 目的外の場所はさらりと済まして帰路に着く。 北上駅付近に至り進行方向の車線沿いのガソリンスタンドを探していたのであるが、なかなか見つからず、北上駅を3Kmばかり通り越してからようやく給油することが出来た。 こうして花巻観光が終わった。 5月24日(青森)へ続く |
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